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父の死に対する雑感

父が亡くなって二週間が経ちました。

仏教では二七日忌と言うようです。初七日忌、二七忌、三七忌…と続いて、七七忌がいわゆる四十九日の法要です。本来は七日ごとにお経を上げるのが正しい供養の仕方らしいのですが、なんちゃって仏教徒のわが家は普段通り朝飯をお供えして焼香しただけでした。

二週間経って故人の後始末もだいぶ進んできました。残る大物は不動産の名義変更くらい。あとはゆうちょ銀行の口座の相続。ゆうちょ銀行の相続は、経験した人はみんな口を揃えて面倒くさいと言います。もし余裕があるなら生前にゆうちょ銀行の口座は解約しておくと遺族に対する配慮になりますので覚えておきましょう。

さて、何となくいい区切りなので、この二週間で感じたことを徒然なるままに書き残しておこうと思います。

実の子供は重要

手前味噌であれなんですが、通夜葬儀や相続などなど、成人した子供がいると手続きや作業が捗ります。

まず役所や金融機関など諸々の手続きについては、独立して生計を立てている人がいるとだいぶ違います。わが家は母が専業主婦な上に父は何でも自分でやりたがる人だったので、母のみではとても諸々の処理は無理だったと思います。

できれば息子が一人はいるといいでしょう。意外と力仕事や体力を消耗する作業があります。遺体を家に搬入したり搬出したり、その際に見舞客が焼香しやすい寝床を作ったり。結構な力わざです。

通夜の晩の線香番も若干体力を使います。私は役に立ちませんでしたが、親族を送迎する運転手も子供がやれるとだいぶ小回りが利きます。

やはり自分の老後のためにも子供は必要だと改めて思いました。

同性の兄弟姉妹は重要

父が亡くなって別々に暮らす子供たちはそれぞれ最速の経路で駆けつけましたが、もう一人、母の妹である叔母が駆けつけてくれました。

叔母は長野に住んでいます。父が病院に運ばれた時点から母は連絡を取り合っていたようです。明け方亡くなった直後に母が報告すると、2時間後に出発する始発の高速バスで埼玉県内のわが家までやってきてくれました。

叔母はそのまま葬儀告別式の翌日までわが家に泊まり込み、家族の食事や弔問客の応対などこなしてくれました。夜には母と同じ部屋で眠り、しゃべり相手にもなってくれました。

やはり息子たちは事務的な作業に集中しがちで、母の精神面でのサポートはなかなかやり切れませんでした。離れて暮らして苗字は違っても、70年近く共に生きてきた姉妹の繋がりの固さを目の当たりにしました。

専業主婦の家事スキルはレベル高い

15年以上も実家を離れて暮らしていると、たまに帰ってもお客様扱いで、日常的な家事のスキルを目にすることはほとんどありません。

実家で母や叔母の世話になる生活を二週間送ってきましたが、みんな時間のない中でも食事、洗濯、掃除など家事は発生するわけで、そんな中でも不自由なく生活できたのは偏に彼女たちの家事スキルが高いからに他なりません。

何と言っても料理スキルは感嘆すべきものがありました。引っ切り無しに人がやってくるし、大雪は降るし、田舎なんでスーパーも近くにはないし、徐々に食材が逼迫していったのは感じていたのですけれど、驚くほど短時間で凝った料理が出てくるわけです。私などは気合い入れて週末潰して作るようなシチューとか煮物とか時間が掛かりそうなものが、ものの30分ほど台所にこもっただけでジャンジャン出てくるのです。

どうやったらこんなに簡単にこんな凝ったものができるのかと聞いてみても「いつも作ってるからねぇ」と有意義な答えは得られませんでした。きっと本当に自分たちも何がポイントかわかってないんだと思います。やってるうちに自然にできるようになっていたのでしょう。

結局最後に頼れるのは家族

もうこれに尽きます。正直言ってわが家はそれほど仲の良い家族ではありませんでした。ここ数年も全員が顔を合わすのは正月の数時間だけでした。私たちが子供の頃も、両親の帰省以外で遠出した記憶がありません。家族旅行というものをしない家族でした。

父にしても母にしても、現役時代に共に働きレジャーを楽しんだ親しい友人は多くいました。近年はわれわれ息子たちよりもはるかに高頻度に会っていた方たちも多かったはずです。皆さん、通夜葬儀に参列してくれたり、家に焼香に来てくれたり、弔電をくれたり、それぞれにできることをやってくれました。

しかし、変な言い方ですが、それは社会通念上一般的に行われる範囲のものだったように思えます。すべてを置いて故人のために動けるのは、結局遺族たる家族たちだけでした。20年ほどの、今思うと決して長くもない時間ですが、同じ屋根の下で過ごした時間が残してくれたものだと思います。

父はそれほど多くの資産を残したわけではありませんけれど、お金には換算できない多くのものを残してくれたような気がします。私には現状それを引き渡す先がないことを大変申し訳なく思います。

焦っても仕方のないことですが、考えれば考えるほど残された時間の少なさを痛感します。一体どうしたいいんでしょうか。


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なんで文系と理系を分けるの?

このあたりの記事を読みました。

下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記

ちきりん氏のお粗末な科学教育論 – バッタもん日記

詳しくはリンク先の記事を読んでいただくとして、簡単に要約してみます。と言ってもかなり斜め読みなので誤読等ありましたらご指摘ください。

ちきりんさんは、現状のような理数系の教育は興味のある上位3割の人だけにして下位7割の人たちにはもっと人生に役立つ実践的な知識を教育すべきだ、なぜなら私の人生では学校で学んだ理数系の知識はほとんど何の役にも立たなかったからだ、と言っています。

バッタもん日記さんは、子供たちが興味を持つかどうかはやってみないとわからないのだから、大人の都合で子供の可能性を不当に狭めるのは不適切である、科学的思考は知識の寄せ集めではないし実用的な知識だけ付け焼刃で手にしても根幹の思考法を知らなければ使いこなすことはできない、といったことを反論しています。

私としてはバッタもん日記さんの意見に全面的に同意であります。現代社会では小学校に入学してから就職するまで短くても9年間、多くの人は大学の学部を卒業するまで16年以上様々な学問に触れることになります。一方で、人間が世の中で働いていくもしくは生活していく中で専門とする知識は極めて少ないですから、学校で学んだことが直接的に役に立つ場合など非常に稀です。

また、現代社会では一つの仕事で一生を終えることはそれほど多くありません。私自身がそうですけれど、社会人になった頃には想像もしなかったような仕事に気が付いたら就いている場合も多いはず。

にもかかわらず、社会人として働きながらでは、新しい分野の知識を基礎から学ぶことは非常に困難です。仕事でやる以上は成果を出すことが求められますから、給料をもらいながら勉強する機会などそうそう得られません。

学生時代により広い様々な分野の基礎知識を身に付けておくことは、今後の社会を生き抜いていくためにも重要なことだと考えます。

ところで、私は昔から疑問に思っていたのですが、聞くところによると多くの高校では文系と理系にコースが分かれるようです。あえて「ようです」と伝聞調にしたのは、私の通っていた高校はコース分けがなかったからです。

私の母校は某私立大学の付属校だったので大学受験をする人はいませんでした。進学先の学部は高三の年明けに希望を出せばよくて、より広く興味の分野を選択できるように三年間、文系学科も理系学科も関係なく、高校の学習指導要領に載っているすべての科目を履修することになっていました。記憶があいまいですが、一年間で15科目くらいやってました。とにかく定期試験が大変だった覚えがあります。

私は大学は法学部を出ましたけれど、コンピュータメーカーに就職してシステムエンジニアを10年以上やりました。現在は特許関係の仕事で最新のIT技術に触れる仕事をしています。同業者の9割以上は理系の学部や大学院を出た人たちだし、お客さんは博士号を取って企業の研究所で日々研究しているような人たちです。

率直に言って最初は大変でした。用語の意味がわからないし、話の繋がりが理解できないし、何が重要で何が重要でないのか見極めることもできませんでした。面と向かって言われたことはないけれど、無能な奴だと思われたことだろうと思います。今でも思われてるかもしれませんが。

それでもとりあえず3年間曲がりなりにもやってこれたのは、高校の3年間そこそこ真面目に勉強したお蔭じゃないかと思うんですよね。もちろん高校レベルの知識では本質を理解するには至りませんけれど、表面的にはどんな技術か雰囲気を掴むことくらいはできます。何やら筋が通らないところを見出すこともできます(大概は当たり前すぎて説明するまでもないところだったりします)。あの高校で文理問わず広く浅く学んだことが今になって活きてきているように思えるのです。

それで常々疑問に思っていたのですが、文系と理系の区別って必要なんでしょうか?

世の中には、あいつは理系だからとか、あいつは文系だからとか、互いに蔑視する人が多く見られます。しかし、私の狭い知見の中では、本当に成功する人ってそうした区分を超越して広い見識を持っている人が多いように見えます。また、必要であれば分野に関係なく貪欲に必要なことを身に付けていく人たちが多いように思えます。むしろそういう姿勢を持っていなければ、新しいものを生み出すことができないような時代になってるんじゃないか、などとも思います。

だから、私は文系とか理系とかあまり早い段階で分けてしまうのは、これからの時代はなおさら不適切な教育手法なんじゃないか、などと思うのです。文理問わずできるだけ広く基礎知識を身に付けることができ、あまり早い段階で子供たちの進路を決めつけるようなことはしないで欲しいと思います。

もちろん現状は大学受験の関係で分けざるを得ないのも理解できます。日本の教育システムの方向性としてどうするのか、国を挙げて検討すべき事項なのでしょう。その割に選挙でこういう話題が争点にならないのが残念なところです。

そういうわけで、件のちきりんさんの記事については、私は一片たりとも賛同はできません。むしろ真逆の方策をとることが今後は重要だと考えます。

しかし、ちきりんさんのブログは結構長く読んでいますけれど、会社を辞められてからの劣化っぷりは目を覆うものがありますね。近年は社畜的な考え方をDisるのがブームみたいで「仕事で自己実現」的なことを言うのは恥ずかしい雰囲気もありますけれど、やはり一線で仕事するからこそ感性が磨かれるという面があることは否めないと思います。

そんじゃーね。

自動車の値付けがかなりいい加減だった話

父親が死んで困ったことの一つは自動車の扱いでした。

父は自動車に非常なこだわりがあって、老夫婦二人でしか乗らないのに排気量3500ccの日産ムラーノを所有していました。現行モデルではメーカー希望小売価格450万円ほどの代物です。オプション等もバリバリ付けていたので購入価格は500万円を下らないのではないかと想像しています。

実家に残された母は運転免許を持っていません。しかし実家付近は自動車がないと大きい買い物などが不便な田舎町です。今は健康状態に問題ないですが、歳を追って病院などへ誰かが送り迎えする必要が生じるかもしれません。

ところが私は実家を出て都内に引っ越してから15年あまりほとんど運転したことがありません。金ぴかのペーパードライバーであります。車庫に入れたら人一人通るのに苦労する大型車をいきなり自在に操る自信は微塵もありません。

排気量3500ccともなると自動車税も半端ではなく、年間5万8000円になるそうです。うちの実家あたりではファミリー向けマンションの一か月分の家賃に相当する額です。

そうした事情を勘案した結果、自動車税の金額が決定する4月1日までに、私でも乗りこなせるような小さい車に買い替えることが最適解という結論に至りました。

ムラーノの下取りが原資になるので、購入したディーラーに行きました。現在の日産のラインナップではマーチかノートが手頃であろうということでした。それではと、まずはノートで見積もりをもらいました。

X-DIG-Sというグレードをお勧めされ、ナビとバックビューモニター、ETCを付けた結果、系列店で設定している特別値引きが適用されて、本体価格と諸経費で180万円でした。ムラーノの下取りが100万円です。80万円足が出る見積もりとなりました。

はっきり言って想定外の価格でした。下取り金額と購入価格がトントンくらいで、キャッシュレスで購入くらいのイメージだったのです。下取りが期待外れでした。葬儀や四十九日の法要などに関する費用も見えない状況でしたので、簡単に出せる金額ではありません。

「これは仕方ないね、中古も視野にいれて考え直します」ということでその日はディーラーを失礼しました。

ノートに買い替えても自動車税の差額は2万円強くらいの話だし、昔と違って通販を活用すれば生活できないわけでもありません。消費税が上がった後であれば、車が売れずに大きい値引きを出すディーラーもあるかもしれない。とりあえず車のことは置いておいて他の処理に注力しよう。私たち家族は一旦はそういう結論に至りました。

そう思っていた矢先、ディーラーの担当者から電話が掛かってきました。「下取りをもう少し何とかできないか上と交渉しているから、今週末また来てくれないか」というわけです。正直まったく気乗りはしなかったのですが、父がお世話になっていたことも知っているので無下にはできず、翌週の日曜日、ディーラーへ向かいました。

ディーラーの担当者の提案は、ノートのグレードを下げて見積もらせてくれ、ということでした。希望小売価格で20万円ほど安い、Xというグレードでした。エンジンの燃費がちょっとだけ悪く、エアコンがちゃちいものになるくらいの違いだと言います。見るだけならタダなので見積もりを作ってもらうことにしました。

それで出てきた新しい見積もりは総額147万円。下取り価格は100万円で変わらず。持ち出しが47万円ということでした。ぶっちゃけ、あんまり頑張った気配がありません。希望小売価格の差額が下がっただけじゃねぇか。

「あまり変わり映えしませんね」と感想だけ言って失礼しようかとしたときでした。

「実際、いくらくらいで考えてます?」

なるほど、ここをスタート地点にして価格交渉が始まるのか。現代日本で消費者相手の商売でそんな取引形態があるということに軽い衝撃を覚えました。東南アジアのマーケットじゃないんだから。

「30くらいで考えてたんですよ…」
「わかりました。30万ジャストで調整します。」
「…え?いいの?」

即答でした。
もうちょっと考える振りくらいすればいいのに。

私は自動車を買ったことがないのでディーラーにどれくらいの裁量があるのかよくわかりません。しかし、元々キャンペーンの特別値引きが入っているのに、その値引き額以上をさらに引くというのは、もう価格なんてあってないようなものです。

情報システムの受託開発みたいな仕事だと長期間の継続的な取引が見込めるので、イニシャルで赤字覚悟の特価を出して取りに行くようなことは一般的に行われています。しかし、自動車っていわゆる大衆消費財でディーラーのスイッチングコストなんて大したことなさそうです。そんな無茶なことをする理由が思いつきません。販売希望価格ではものすごい利益率になるとしか思えないんですが、どうなんでしょうか。

ただ一つだけわかったのは、自動車を買うときはゴネるだけゴネた方が得っぽい、ということです。少なくとも最初の見積もりで予算内であったとしてもそれで買うのはアホのやることだ、と思いました。

不思議な世界もあるものです。

通夜葬儀で行う遺族の挨拶

通常は葬儀屋がサンプルをくれますので、それに倣ってやればよいです。

例えば、家族以外の親族で挨拶しないといけなくなったようなときに参考になるのではないかと思います。

通夜の挨拶

通夜のときの挨拶は、通常は通夜の後に行う宴席(お斎(おとき)の席)で冒頭に行うことが多いようです。

しかしながら、一般的には日中に行われる葬儀よりも夜に行われる通夜の方が参列者が多いですし、通夜では焼香をしたら順次お帰りになる方がほとんどですから、通夜の冒頭に読経を一旦止めて遺族の挨拶を行うパターンが多くなっているそうです。

わが家もそうさせていただきました。結果として、大雪の中でほとんど一般客はなかったんですけどね。

喪主を務めます長男の○○です。
本日はお忙しい中を故○○のためにわざわざご弔問いただきましてありがとうございました。
亡き父も皆様方のおいでを喜んでいることと存じます。また、存命中はひとかたならぬお世話になりましたことを厚く御礼申し上げます。
あれこれ考えますと心残りのことばかりでございますが、これも天寿でございましょう。
残された私共にも変わらぬご指導ご厚誼(こうぎ)を賜りますようお願い申し上げます。
本日は誠にありがとうございました。

出棺の挨拶

葬儀の最後、もしくは霊柩車に乗せてから出発する前に、遺族から行う挨拶です。

ドラマとかワイドショーとかで見るのは大体この出棺の挨拶のような気がするので重要なのかと思っていましたが、必ずしも喪主でないといけないわけでもないみたいです。

わが家も遺族の中で一番どうでもよい存在の次男が行いました。私のことですが。

次男の○○でございます。
遺族、親族を代表いたしまして、一言ご挨拶申し上げます。
本日はご多用の中、また足元の悪い中、故○○のためにご会葬くださり、誠にありがとうございます。
父は多趣味な人でしたが、とりわけスキーが大好きでした。今シーズンは腰の具合が思わしくなく、滑りにいけないことをとても悔しがっていました。こうして最期の日を雪の中で迎えることができて本望かと思います。
父はこれにて皆様とお別れすることになりますが、 生前親しくして頂いた皆様に見送って頂き、父もさぞ喜んでいる事と存じます。
今後残された遺族に対しましても、生前同様のご厚誼(こうぎ)を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
本日は誠にありがとうございました。

精進落としの席

葬儀が済んだら火葬をし、遺骨を持ち帰って、最後の宴席になります。これがいわゆる精進落としです。

精進落としの挨拶は通夜葬儀が一通り終わって、遺族からの最後の挨拶ですから、よほどのことがない限り喪主が行います。

本日は亡き父のために、いろいろとお気遣いいただき、誠にありがとうございました。
お陰様で、滞りなく葬儀を済ませることができ、故人も喜んでいることと思います。
ささやかではございますが、精進落としのお膳を用意致しましたので、故人を偲びながら召し上がっていただければ幸いです。
本日は誠にありがとうございました。

葬儀屋にもらうサンプルをそのまま読み上げるだけでも全然問題ないと思います。でも、ちょっとしたエピソードを一言入れ込むだけで、印象的にできるんじゃないかと個人的には思います。

そういうのは葬儀告別式に限った話ではないとは思います。通り一遍の挨拶が求められる場面で、無難にこなすだけでは面白くないけれど、あまり出しゃばりだと思われたくない、小心な目立ちたがり屋さんは試みていただければと思います。


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父親が死んでから葬儀までにやったことを備忘録的にまとめておきます。母親が死んだときも同じことをするんだなぁと思うとぞっとします。

ちなみに今回のケースでは、亡くなったのはほぼ後期高齢者の無職男性で、妻と二人暮らしでした。健康状態には問題がなく、本人も予測しなかったであろう急な死でした。亡くなったのは救急搬送先の病院です。

現役世代であったり、独居だったり、いわゆる終活準備が完了していたり、それぞれの事情で相当変わると思います。参考までになさってください。

初日(亡くなった日)

葬儀屋を選ぶ

基本的に病院には遺体を置いておけません。すぐに葬儀屋を決めて引き取りにこさせろと言われます。

その場で駅前に式場を持っている葬儀屋を検索して、あまり深く検討する間もなく連絡をしました。

ほとんどの葬儀屋は24時間受付のフリーダイヤルを持っているようです。私の場合、亡くなったのは午前3時過ぎでしたが普通に連絡できました。

遺体を安置する

葬儀屋がすぐに遺体搬送用車両で迎えに来てくれます。このとき、遺体を式場の安置所に置いておくか、自宅へ連れて帰るかを尋ねられます。

何となくこのまま一度も家に帰れないまま焼いてしまうのは気の毒だったので、自宅へ連れ帰ることにしました。

近所の人たちがお焼香を上げに来てくれたりするので、それなりに近所付き合いがある地域であれば、絶対に自宅に連れ帰るべきです。

葬儀屋が簡易な祭壇とか持って来てくれるので、初めてのお焼香を上げましょう。宗派がわかっていれば作法なども教えてくれます。

遺族親族へ第一報を入れる

看取れなかった遺族や親族には時間は気にせず第一報を入れましょう。多くの場合はいよいよ危ないとなったときに連絡をしていると思いますので、結果をいち早く教えてあげるべきでしょう。

簡単に「さっき死んだ。日取りが決まったら連絡する。」のみでよいです。

職場へ連絡する

平日の営業時間になったら自分の職場に連絡しましょう。決まっていることがあればそのまま伝えればよいです。何も決まってなくても「親が死んだのでしばらく休む。日取り等が決まったら連絡する。」くらいは言っておくべきです。

ちゃんとした会社なら忌引きの日数とか花をどうするか人手はいるかなどなどいろいろ聞いてくることでしょう。

ちなみに親の死亡の場合は忌引きは7日(休日含む)が多いみたいですね。サンプル数は少ないですが。

葬儀屋と打ち合わせ(日取り等)

葬儀屋が式場や火葬場の空き状況を確認して来てくれるので、日取りを決めます。そんなに間を開けるわけにいかないので、選択肢はそんなに多くありません。

このときに通夜までに決めなければいけないことについての説明も受けます。きっちりメモ取りながら聞かないとわからなくなっちゃうので気をつけましょう。

死亡届を提出する

役所に死亡届を出さないと埋葬許可証が下りず、火葬ができません。病院で亡くなれば医者が死亡診断書を書いてくれます。死亡届は死亡診断書と一枚綴りになっています。

私の場合は葬儀屋が役所に死亡届を提出しに行ってくれました。彼らとしても許可証がなくて式が滞ると困るから遺族任せにできないのかもしれません。

死亡届のコピーを取る

死亡届は、戸籍謄本に死亡(除籍)が記載されるまで、本人の死亡を証明する書類として求められることが多いです。

私の場合は、国民健康保険の葬祭費の請求、遺族年金の請求、生命保険の請求などで必要でした。

多くのコンビニではコピー機にスキャナが付いていますので、pdfで保存しておいて必要に応じて印刷するようにするとよいでしょう。

二日目

遺族親族、勤め先などへ日取りを連絡する

日取りが決まったので連絡しておきましょう。精進落としの人数に関係してくるので、火葬場へ来てもらえる人の人数を把握しておきます。

基本的に火葬場へ来てもらう人は遺族側で指名するようです。

故人の友人関係へ連絡する

わかる範囲で友人関係へ連絡します。どこまで連絡するかは非常に難しい判断です。連絡先を見つけるのも結構大変です。

会葬品や引き物の数も決める必要があるのでどれくらい来れそうかをそれとなく探っておく必要があります。

ご臨終から通夜までの間に一番時間を取られるのがこれです。

家に来る焼香客を相手する

式場が遠かったりすると近所の人が焼香を上げに来ますので応対します。

特に故人がお年寄りだと近所の人なども同じくらいお年寄りなので、通夜のために家を出るのが辛かったりするようです。

わが家の場合は特に大雪のさなかだったため、通夜の参列者寄りもうちに焼香上げに来た人の方が倍くらい多かったです。

葬儀屋と打ち合わせ(詳細)

大体の日取りは決まっていますので、料理の種類や人数とか、供花の数や順番とか、細かい内容を詰めます。

これが決まれば後はやるだけです。

挨拶を決める

通夜から葬儀の間に数回、遺族親族の挨拶が求められます。通夜の後の お斎(おとき)の席、出棺の挨拶、精進落としの席が一般的のようです。わが家は通夜の冒頭に読経を一旦止めて挨拶をさせてもらいました。

基本的には喪主が話しますが、すべて同じ喪主がやるのも芸がないので遺族の中で分担することも多いようです。もし血縁の近い親族に挨拶を頼むのであれば、早めに交渉するとよいでしょう。ちなみに私は叔父に一つ挨拶を頼んだのですが断られました。

参考までに、わが家はこのようになりました。

  • 通夜の冒頭:喪主(長男)
  • お斎(おとき)の席:妻
  • 出棺の挨拶:次男
  • 精進落としの席:喪主(長男)

通夜当日

納棺

文字通り遺体を棺へ詰めます。家でやってもよいし、式場でやってもいいです。家でやる場合は棺桶の搬入等が発生するので相当広い家じゃないと厳しいでしょう。わが家は搬入搬出ルートが取れそうになかったので式場で納棺としました。

式場で納棺をするなら、通夜の少し前にやることにすれば、親族も納棺に立ち会えるので都合がよいと思います。

臨終に立ち会っていない親族などは、はっきりと遺体を目の当たりにする最初の機会なので、やはり衝撃的なようです。結構盛り上がる場面です。

通夜

特に説明は不要かと思います。道士がお経を読んで、遺族、親族、一般客の順で焼香します。

すべて葬儀屋が取り仕切ってくれるので、言われるがままにやることをやればよいです。

お斎の席

通夜の後、親族などが揃って食事をします。臨終に立ち会った人間は貴重なので、何度も同じ話をさせられます。

あとは、今何やってんだとか、早く結婚しろとか、お決まりのトークが繰り広げられます。

線香番

通夜の晩から葬儀の朝まで線香が尽きないように式場に泊まり込んで見守るのが線香番です。ほとんど眠れませんので若い男性が受け持つことが通常です。

仮眠を取りながらやれるように複数人で担当するとよいでしょう。

ただし、最近は12時間燃える線香とか5時間燃えるロウソクとか出回っているので、線香番自体を置かない場合もあるみたいです。

わが家もオリンピックを観ながら飲んだくれていただけで、いつ寝たのかも記憶にないくらいです。

葬儀当日

葬儀告別式

通夜と同様に道士と葬儀屋の流れに任せ、言われるがまま言われた通りのことをすれば、基本的に何も問題がありません。

初七日の法要も同時に行うことが通常です。葬儀用の読経が30分、初七日用が15分、計45分間の読経を聞かされます。

すべて終わると棺桶に花を詰めて完全に蓋をします。故人の姿を見られるの最後の機会です。最期の姿を目に焼き付けておきましょう。

火葬場

ほとんどやることありません。好きな飲み物をいただきながら親族と近況などを話しながらひたすら待ちます。約一時間ほどで焼けます。

やはり親が骨になって目の前に出てくるとインパクトがありますね。と言っても言われないとそれが親の骨とはわかりません。病気などで骨が形を残さないこともあるようです。そうなるとショックが大きいのかもしれません。

精進落とし

式場に戻って会食します。線香番をしていると猛烈に眠くなります。故人を偲びながらおいしくいただきましょう。

以上で葬儀告別式は終了です。お疲れさまでした。

まとめ

基本的には準備や進行は葬儀屋が何でもきっちりやってくれます。遺族は聞かれたことを決めるだけです。

一番の仕事は、故人の友人関係を調べて連絡し、どれくらいが通夜もしくは葬儀に来てくれるのか、人数を把握することです。これが食事の数や会葬品、引き物などの数に影響しますのでじっくり考えて決めるとよいです。

遺族はやることが多くて、故人を偲ぶなどと言う余裕はありません。かつては葬式に「泣き女」を頼んで涙を誘うように仕掛けるようですけれど、そうでもしないと遺族は涙一つ流す暇もないと思いました。

何にしても故人に対して最後にやれる孝行ですから、精いっぱいのことをやってあげましょう。


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父が死にました

日曜の夕方のスーパーが嫌い

土日が休みの人は大抵そうだと思いますが、日曜の夕方が好きではありません。

ただし、多くの人とは理由が違っていて、別に月曜日から出勤するのが嫌というわけではありません。休日に何やるかを考えるよりも仕事していた方が頭使わなくて済むんで、むしろ新しい一週間が始まることは歓迎する気持ちの方が強いです。

私は日曜の夕方は通常、近所のスーパーマーケットで一週間分の買い出しに行きます。何が嫌かと言うと、日曜の夕方には普段の倍くらい買い物がしづらいからなのです。

日曜の夕方のスーパーマーケットは、とにかく家族連れが多いです。普段はお母さんが一人で買い物して帰って行くところを、両親とお子さんの3~4人連れで来るわけだから、店内の人口密度が急上昇します。

皆さん買物量が多いですからカートの出動量も多いです。カートを押すのは買い物慣れしていないお父さんです。この人たちは他人の邪魔にならないカートの位置取りを知らないので大変通行に邪魔なところで立ち止まってたりします。

子どもたちも両親とスーパーマーケットに来る非日常に興奮しています。勝手に要りもしないものをカートに入れてお母さんに戻してこいと言われ、無意味に反抗してさらにお母さんの怒りを買ったりしています。そうしたやり取りすらも楽しいようです。

複数人で買い物に来れば買う物を決めるために多少の議論が発生します。棚の前にカートを横付けして家族会議を繰り広げる人たちも少なからずいます。そういう人たちは周りの状況が見えていませんから、後ろの人たちがあなたたちがどくのを待っていることにも気づきません。

レジ待ちの列も長いです。お金払う人一人で並べばいいのに、無意味に家族勢揃いでレジに並ぶ人たちも多いです。無駄に列が伸びるのでレジ前の通路を通過することができなくなります。

そんな感じで、家族客が多い日曜の夕方には、単純に買い物客が多くなる以上にストレスが強いのです。と言っても家族客は買い物に来るなっていうのも乱暴な話だし、そんなことを言われる筋合いもないでしょう。そもそもこっちの方が嫌なら来るなと言われるのがオチです。

ということで、最近は平日の夜に小まめに買い物に行くように変わりつつあります。都内だと夜遅くまで営業しているスーパーが多いので不便はないですが、将来的に郊外に住むようになったらどうなってしまうんだろうかと今から要らぬ心配をしてしまいます。

結局は負け犬の遠吠えなんですけどね。

新幹線で子供が泣いてもいいし、うるさければ舌打ちしてもいい

正月早々から新幹線とマナーの話題が盛り上がっているようです。

正月に新幹線で帰省する人は多いでしょうから、各々で思うところがあるのでしょう。私は実家まで私鉄で1時間半くらいなんで実感としてはよくわかりません。

このやり取りをきっかけにしてホリエモンこと堀江貴文さんが盛大に燃え上っていたようです。実際には睡眠薬を飲ませろという話に発展したのが問題視されたようです。実際には堀江さんが言い出したわけじゃなくて他人の話に同意しただけみたいですね。

私は子供もいないし医者でもないので子供に睡眠薬を飲ませる是非は判断できませんが、根本的に泣く子がうるさいからどんな手段でもいいから黙らせろという姿勢には感心しません。これで叩かれるのは仕方ない。

ただ違和感があるのは、一方的に堀江さんが叩かれているようなところです。私にはどちらかと言えば駒崎氏の方が質が悪いと思えるのです。

駒崎氏の言っていることは明らかに自己矛盾しています。公共交通は色んな人が乗るから当事者意識と寛容によって生み出すものとおっしゃっていますが、うるさい子供に舌打ちした女性には新幹線を降りろと言う態度は極めて不寛容です。

うるさい子供が我慢できない人は公共交通を利用する資格がないなら、うるさい子供に苛立つ人を我慢できない人も公共交通を利用する資格がないはずですよね。

そもそも人間はうるさければイライラするわけで、それが小さい子供だろうが、おばさんの世間話だろうが、おっさんの酒盛りだろうが、うるさいものはうるさいし、うるさければ苛立つのは仕方ないです。苛立てば無意識に舌打ちが出ることもあるし、独り言が出ることもあるでしょう。

子供連れのお母さんがおっさんたちのどんちゃん騒ぎも甘受するというならいいのです。それなら公平ですね。当事者意識と寛容に溢れた素晴らしい世界だと思います。

でも、その騒ぎでせっかく大人しくしてた子供が泣き出したらどうなるでしょう。子育て中の女性は通常より余裕がない場合が多いですから苛立つんじゃないでしょうか。うるさいと呟くかも知れないし、舌打ちするかもしれません。私は実際に電車内でベビーカーの通行に邪魔な場所に立っている人を怒鳴りつけている母親を何度か見たことがありますよ。

私は駒崎氏のように自分の正義のためには他者を排除してでも許されると考える人は信用しません。しかも子供や子育て中の母親のような世間一般で弱者と考えられる人を盾にして乱暴なことを主張する人は言語道断です。偽善者としか思えません。

大体隣の女性に対する文句をtwitterでつぶやくってなんだよ。直接言えばいいじゃない。出て行けって。

こんな年賀状はいらない

もう10年以上前から紙の年賀状を自分から出すことはしていないのだけれど、なぜかそれでも年賀状を送ってくる人がいます。

別に紙の年賀状を出さない確固たる理由があるわけでもないので、届いたものには返事を出しています。葉書一通で無駄に嫌われることを避けられるなら安いものです。

大体正月の2日か3日に実家から家に帰って来て、枚数を確認してから郵便局に年賀状を買いに行き、近くの喫茶店で書いて、また郵便局に戻って投函するのがパターンになっています。

あってもせいぜい10枚くらいなのでそんなに面倒でもないですが、中には「こんなのに返事出す必要あるのか?」と思わなくもない年賀状もあります。

両面とも印刷のみ

一番返すべきか悩むのがこれです。宛先も印刷、本文も印刷。これで写真屋のテンプレートそのままだったりすると、げんなりします。

あなたは何のために年賀状を私に送ってきたのかと膝突き合わせてじっくりお話を伺いたいところです。

こういう場合、私は手書きでびっしりメッセージを書き込んで返事を送ってやることにしています。ほとんどは意味のない言葉ですけれど。

自営業者とかでビジネスが絡む場合は別に両面印刷でもいいんです。相当な枚数を出しているだろうし。当然そういうのには返事も出しません。

子どもの写真だけ

誰だよ、お前、って思います。

会ったこともないし、ご挨拶される筋合いなどありません、って思います。

あれはどういうつもりで送ってくるんでしょうか。反応のしようがないんですよ。へぇ、としか感じないし、場合によっては嫌がらせなのかと邪推してしまいます。

もちろん、親と一緒に写っているのは全然問題ありません。知ってる人だし。あくまで子どもだけが写っている写真の場合です。

家族連名(乳幼児含む)

これも子ども写真と同じ。誰だよ、お前、と思います。

しかも一般常識では読めない名前でふりがなとか振ってあると子どもが気の毒で見ていられません。ふりがなすらない場合は、親の頭の悪さが気の毒で仕方ありません。

やはり差出人は宛先の人と面識がある人だけにするべきだと思います。私は返事にも親の名前しか書きません。


考えてみれば、昔の人たちは年始回りで実際に挨拶へ行っていて、それを簡素化したのが年賀状ですから、年賀はがきという媒体にこだわる必要なんてどこにもないわけです。実際、私の場合、ほとんどの人とはFacebookなどで電子的に挨拶を済ましている現状もあります。

何となく習慣として無意味な年賀状を送るのは止めて、どうしても年賀状を送るのであれば、せめて相手に配慮した意味のある年賀状を送っていただきたいものです。


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箱根駅伝2014の感想

第90回東京箱根間往復大学駅伝競争(通称箱根駅伝)は、東洋大学の2年ぶり4回目の総合優勝で幕を閉じました。

今年の東洋大の強さは強豪校の実力に偏りが際立ってきた近年でも稀に見るものだったと思います。区間賞を5人出し、その他の選手も最低区間4位以内で揃えてきましたから、盤石の布陣と言っていいでしょう。どんな強豪校でもエースと呼ばれる選手がいるものですが、今年の東洋大は設楽兄弟が頭一つ抜けているとは言え、全員が他校のエース級ですから、この圧勝はケチのつけようがないものでした。

最終的にはちょっと差が付いてしまいましたが、途中までくらい付いていった駒沢大学の強さも心に残りました。区間賞は1人のみですが、全員が区間6位以内で揃えていましたから、選手層の厚さはさすが名門と首肯せざるを得ません。特に今年は1,2年生が多い若いチーム編成になっていたのが印象的です。平成20年以降優勝から遠ざかっている同校ですが、来年以降も期待できそうです。

私の母校、早稲田大学は意外な健闘を見せてくれました。確かに優勝候補の一角には上がっていましたけれど、出雲や全日本の結果を見ると上位二校との差は歴然としてあり、特に一区でエース大迫が結果を出せなかった中での往路3位は十分に力を発揮した結果だと思います。復路の後半で失速し4位に終わったのは層の薄さを露呈した結果と言えるでしょう。二区区間賞の高田選手を始め、若い世代が着実に結果を残していましたので、来年以降の再起に期待したいと思います。

ところで、今回の大会は第90回の記念大会だったからかわかりませんが、史上最多の23校が出場しました。その影響が大きいと思いますが、繰り上げスタートが多いことが印象に残りました。

私が初めて箱根駅伝を見た90年代の後半頃は、確か出場校は15校くらいだったと思います。それがいつからか20校に増えていて、現在は23校まで増えています。具体的には名前は出しませんが、上位校と共に競うだけの実力のないチームまでが出場してしまっていたのではないでしょうか。

確かに、繰り上げスタートは箱根駅伝の見どころの一つです。中継所直前の繰り上げスタートは涙を誘うし、全校が繰り上げなしでレースを終えればそれだけでほっこりします。

幹線道路を閉鎖することだからできるだけ短時間で開放したい事情もあるでしょう。でも、やはり選手たちにはできるだけ襷を繋げさせてあげたいし、正直言って、観る方にとっても走っている順番と実際の順位が異なるのは非常に不便です。きっと選手の方も目標になるものがなくなって実力を出し切れないこともあるんじゃないでしょうか。できるだけ繰り上げスタートは起きないように運営して欲しいな、と思います。

確かに、近年は強豪校とその他の実力差が広がりつつある感覚はあるし、特に今年の東洋大の強さは尋常ではなかったですから、これ一回をもって判断するのは適切ではないのかもしれませんが、それにしてももうちょっと出場校を絞って中身の濃い大会にした方が選手にとっても観衆にとってもいいことなんじゃないかな、ということは思いました。

リクナビOpenESの紹介文を書いた

ひょんなことから就活生の紹介文を書くことになりました。

大手就職活動向けWebサイト『リクナビ』で、2015年4月入社向けの『リクナビ2015』から「OpenES」という機能が開始されました。私も全体像はよくわかっていませんが、エントリーシートの標準化みたいな試みと理解しています。リクナビ上でエントリーシートを登録しておくと、志望する複数の会社にワンクリックで応募ができるという機能のようです。

その「OpenES」の中に紹介文という機能があります。第三者に自分の紹介文を書いてもらって登録しておくと、エントリーシートの一部として企業へ送信されるものだそうです。これは、大学等の推薦とは異なる位置付けなので、教授や就職課の職員は避けるように、というのが建前となっているようです。

私が紹介文を書くにあたって、気を付けたことを文章の流れに沿って挙げておきます。本当は例文として貼り付けることも考えたのですが、プライバシーに関わる内容だったので割愛させていただきます。

  • 当人との関係性を具体的に書く
  • 特に当人の特長に繋がるエピソードを具体的に書く
  • 一旦ダメなポイントに触れる
  • 続いて推したいポイントを明確に挙げる
  • 〆は「仕事できますよ!」にこじつける

ぶっちゃけて言ってしまうと、ある程度の社会経験のある人だったら、どんなにダメな人間であっても、うまいこと褒め要素を見つけることができるはずです。そんなことは企業の人事の担当者ならわかりきっているはずですから、より信憑性を高めるために、具体的なエピソードを書くことが決め手になるのではないかと思います。

それから、相手は学生なのでべた褒めすると逆に胡散臭い感じになってしまいます。一旦ダメ出ししておいて、でもこんな感じで克服したから、こんなところが仕事に活かせる長所ですよ、という流れが理想的なのではないかと思いました。

元も子もないことを言ってしまえば、企業の人事の人が一時期に殺到するエントリーシートの紹介文をそんなに真に受けて読むとは思えません。むしろどんな人間に紹介文を書いてもらえたのかくらいしか見ないんじゃないかとすら思えます。
※実際、紹介者の勤務先と肩書を記入する欄もあります。

一応、紹介文は任意項目ということになっていて、それを書かないことで不利益な取扱いはないはずだという解釈をして学生に指導している大学もあるようです。でも、私にはそうは思えません。

OpenESは就職活動をより効率的に進めるための試みということになっています。一つのエントリーシートを登録すれば何十、何百の企業にワンクリックで応募できるのですから、その点だけを見ればそれは効率的でしょう。

学生側はワンクリックで簡単に複数の企業に応募できるということは、企業側には従来以上に膨大なエントリーシートが送られてくるということです。でも、企業側の採用人数が増えるわけもなく、物理的に面接できる人数も限界があります。

であれば、企業側はエントリーシートの段階で効率的に面接する応募者を選別しなければなりません。そこで、「紹介文があるか、ないか」ということはすごくわかりやすい基準になると思うのです。

しかもそれが、より見栄えの良い肩書の人間に頼めるかどうか、という要素になってしまうと、突然そんなことを言われる就活生はたまったものではありません。場合によっては一枚いくらで紹介文を書くビジネスだって起こりかねません。

そろそろ就職活動は本当に企業と学生にとって良い結果になる方向へ改革する時期に来ているのだろうな、ということを強く感じます。リクナビのOpenESは、好意的に見れば、そうした問題意識の中から生まれたものだろうと理解できるのですが、好ましい動きとは思えません。

就職活動の改革はリクルートのように企業から広告をもらって食っている企業が先導してはならないと思うのです。絶対に。


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