『発明家に学ぶ発想戦略』エヴァン・I・シュワルツ(著)

最近はこの手のビジネス系の意識高そうな本はとんと読まなくなりました。何のきっかけでいつ買ったのかもわからないのですが、いつの間にやら購入して積読状態だったので、何気なく読み始めたのですが、なかなか興味深い本でした。

本書の根幹のテーマは、著名な多くの発明家のエピソードなどから、その発想力の要諦を探り出そうということです。現在も活躍している多くの発明家にインタビューした内容がレポートされており、大変興味深いです。

各章のタイトルは以下のようになっています。大体タイトルだけで内容はある程度予想できる感じになっていると思います。

  • 第一章『可能性を創出する』
  • 第二章『問題をつきとめる』
  • 第三章『パターンを認識する』
  • 第四章『チャンスを引き寄せる』
  • 第五章『境界を横断する』
  • 第六章『障害を見極める』
  • 第七章『アナロジーを応用する』
  • 第八章『完成図を視覚化する』
  • 第九章『失敗を糧にする』
  • 第十章『アイデアを積み重ねる』
  • 第十一章『システムとして考える』

何人かの大発明家が各章で代わるがわる触れられています。多く取り上げられているのは、トーマス・エジソン、グラハム・ベル、ウディ・ノリス、スティーブ・ウォズニアック、ライト兄弟などなど。過去の偉大な発明家であって誰もが知っているような人から、大きな発明をし実績を積み上げつつある現代の発明家たちです。

各章で言いたいことはちょくちょく聞くようなことなので、驚くような目新しい説があるわけではありません。課題があって、解決するニーズがあって、その機会が与えられたとき、一見関係ない分野の応用や転用などを駆使して、失敗しても挫けず、改良を広く深く重ねることでイノベーションが生まれるというわけです。

本書の成果は、発明に必要な思考回路を体系的に整理したところにあるのだと思います。米国の事例が中心になっているのがさみしいところではありました。単純に著者が米国メディアの出身だからかもしれません。

最近は愛国精神丸出しの書籍がブームらしいと聞きます。文明開化から高度経済成長期くらいの日本の著名な発明家(豊田佐吉とか安藤百福とか)を集めてこういう書籍にまとめたら注目されるのではないだろうか、などと考えました。いかがでしょうか。

特に意識高い系の若い人に読んでいただいて、日本発のイノベーションを生み出す糧としていただきたいと思いました。

父の死に対する雑感

父が亡くなって二週間が経ちました。

仏教では二七日忌と言うようです。初七日忌、二七忌、三七忌…と続いて、七七忌がいわゆる四十九日の法要です。本来は七日ごとにお経を上げるのが正しい供養の仕方らしいのですが、なんちゃって仏教徒のわが家は普段通り朝飯をお供えして焼香しただけでした。

二週間経って故人の後始末もだいぶ進んできました。残る大物は不動産の名義変更くらい。あとはゆうちょ銀行の口座の相続。ゆうちょ銀行の相続は、経験した人はみんな口を揃えて面倒くさいと言います。もし余裕があるなら生前にゆうちょ銀行の口座は解約しておくと遺族に対する配慮になりますので覚えておきましょう。

さて、何となくいい区切りなので、この二週間で感じたことを徒然なるままに書き残しておこうと思います。

実の子供は重要

手前味噌であれなんですが、通夜葬儀や相続などなど、成人した子供がいると手続きや作業が捗ります。

まず役所や金融機関など諸々の手続きについては、独立して生計を立てている人がいるとだいぶ違います。わが家は母が専業主婦な上に父は何でも自分でやりたがる人だったので、母のみではとても諸々の処理は無理だったと思います。

できれば息子が一人はいるといいでしょう。意外と力仕事や体力を消耗する作業があります。遺体を家に搬入したり搬出したり、その際に見舞客が焼香しやすい寝床を作ったり。結構な力わざです。

通夜の晩の線香番も若干体力を使います。私は役に立ちませんでしたが、親族を送迎する運転手も子供がやれるとだいぶ小回りが利きます。

やはり自分の老後のためにも子供は必要だと改めて思いました。

同性の兄弟姉妹は重要

父が亡くなって別々に暮らす子供たちはそれぞれ最速の経路で駆けつけましたが、もう一人、母の妹である叔母が駆けつけてくれました。

叔母は長野に住んでいます。父が病院に運ばれた時点から母は連絡を取り合っていたようです。明け方亡くなった直後に母が報告すると、2時間後に出発する始発の高速バスで埼玉県内のわが家までやってきてくれました。

叔母はそのまま葬儀告別式の翌日までわが家に泊まり込み、家族の食事や弔問客の応対などこなしてくれました。夜には母と同じ部屋で眠り、しゃべり相手にもなってくれました。

やはり息子たちは事務的な作業に集中しがちで、母の精神面でのサポートはなかなかやり切れませんでした。離れて暮らして苗字は違っても、70年近く共に生きてきた姉妹の繋がりの固さを目の当たりにしました。

専業主婦の家事スキルはレベル高い

15年以上も実家を離れて暮らしていると、たまに帰ってもお客様扱いで、日常的な家事のスキルを目にすることはほとんどありません。

実家で母や叔母の世話になる生活を二週間送ってきましたが、みんな時間のない中でも食事、洗濯、掃除など家事は発生するわけで、そんな中でも不自由なく生活できたのは偏に彼女たちの家事スキルが高いからに他なりません。

何と言っても料理スキルは感嘆すべきものがありました。引っ切り無しに人がやってくるし、大雪は降るし、田舎なんでスーパーも近くにはないし、徐々に食材が逼迫していったのは感じていたのですけれど、驚くほど短時間で凝った料理が出てくるわけです。私などは気合い入れて週末潰して作るようなシチューとか煮物とか時間が掛かりそうなものが、ものの30分ほど台所にこもっただけでジャンジャン出てくるのです。

どうやったらこんなに簡単にこんな凝ったものができるのかと聞いてみても「いつも作ってるからねぇ」と有意義な答えは得られませんでした。きっと本当に自分たちも何がポイントかわかってないんだと思います。やってるうちに自然にできるようになっていたのでしょう。

結局最後に頼れるのは家族

もうこれに尽きます。正直言ってわが家はそれほど仲の良い家族ではありませんでした。ここ数年も全員が顔を合わすのは正月の数時間だけでした。私たちが子供の頃も、両親の帰省以外で遠出した記憶がありません。家族旅行というものをしない家族でした。

父にしても母にしても、現役時代に共に働きレジャーを楽しんだ親しい友人は多くいました。近年はわれわれ息子たちよりもはるかに高頻度に会っていた方たちも多かったはずです。皆さん、通夜葬儀に参列してくれたり、家に焼香に来てくれたり、弔電をくれたり、それぞれにできることをやってくれました。

しかし、変な言い方ですが、それは社会通念上一般的に行われる範囲のものだったように思えます。すべてを置いて故人のために動けるのは、結局遺族たる家族たちだけでした。20年ほどの、今思うと決して長くもない時間ですが、同じ屋根の下で過ごした時間が残してくれたものだと思います。

父はそれほど多くの資産を残したわけではありませんけれど、お金には換算できない多くのものを残してくれたような気がします。私には現状それを引き渡す先がないことを大変申し訳なく思います。

焦っても仕方のないことですが、考えれば考えるほど残された時間の少なさを痛感します。一体どうしたいいんでしょうか。


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なんで文系と理系を分けるの?

このあたりの記事を読みました。

下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記

ちきりん氏のお粗末な科学教育論 – バッタもん日記

詳しくはリンク先の記事を読んでいただくとして、簡単に要約してみます。と言ってもかなり斜め読みなので誤読等ありましたらご指摘ください。

ちきりんさんは、現状のような理数系の教育は興味のある上位3割の人だけにして下位7割の人たちにはもっと人生に役立つ実践的な知識を教育すべきだ、なぜなら私の人生では学校で学んだ理数系の知識はほとんど何の役にも立たなかったからだ、と言っています。

バッタもん日記さんは、子供たちが興味を持つかどうかはやってみないとわからないのだから、大人の都合で子供の可能性を不当に狭めるのは不適切である、科学的思考は知識の寄せ集めではないし実用的な知識だけ付け焼刃で手にしても根幹の思考法を知らなければ使いこなすことはできない、といったことを反論しています。

私としてはバッタもん日記さんの意見に全面的に同意であります。現代社会では小学校に入学してから就職するまで短くても9年間、多くの人は大学の学部を卒業するまで16年以上様々な学問に触れることになります。一方で、人間が世の中で働いていくもしくは生活していく中で専門とする知識は極めて少ないですから、学校で学んだことが直接的に役に立つ場合など非常に稀です。

また、現代社会では一つの仕事で一生を終えることはそれほど多くありません。私自身がそうですけれど、社会人になった頃には想像もしなかったような仕事に気が付いたら就いている場合も多いはず。

にもかかわらず、社会人として働きながらでは、新しい分野の知識を基礎から学ぶことは非常に困難です。仕事でやる以上は成果を出すことが求められますから、給料をもらいながら勉強する機会などそうそう得られません。

学生時代により広い様々な分野の基礎知識を身に付けておくことは、今後の社会を生き抜いていくためにも重要なことだと考えます。

ところで、私は昔から疑問に思っていたのですが、聞くところによると多くの高校では文系と理系にコースが分かれるようです。あえて「ようです」と伝聞調にしたのは、私の通っていた高校はコース分けがなかったからです。

私の母校は某私立大学の付属校だったので大学受験をする人はいませんでした。進学先の学部は高三の年明けに希望を出せばよくて、より広く興味の分野を選択できるように三年間、文系学科も理系学科も関係なく、高校の学習指導要領に載っているすべての科目を履修することになっていました。記憶があいまいですが、一年間で15科目くらいやってました。とにかく定期試験が大変だった覚えがあります。

私は大学は法学部を出ましたけれど、コンピュータメーカーに就職してシステムエンジニアを10年以上やりました。現在は特許関係の仕事で最新のIT技術に触れる仕事をしています。同業者の9割以上は理系の学部や大学院を出た人たちだし、お客さんは博士号を取って企業の研究所で日々研究しているような人たちです。

率直に言って最初は大変でした。用語の意味がわからないし、話の繋がりが理解できないし、何が重要で何が重要でないのか見極めることもできませんでした。面と向かって言われたことはないけれど、無能な奴だと思われたことだろうと思います。今でも思われてるかもしれませんが。

それでもとりあえず3年間曲がりなりにもやってこれたのは、高校の3年間そこそこ真面目に勉強したお蔭じゃないかと思うんですよね。もちろん高校レベルの知識では本質を理解するには至りませんけれど、表面的にはどんな技術か雰囲気を掴むことくらいはできます。何やら筋が通らないところを見出すこともできます(大概は当たり前すぎて説明するまでもないところだったりします)。あの高校で文理問わず広く浅く学んだことが今になって活きてきているように思えるのです。

それで常々疑問に思っていたのですが、文系と理系の区別って必要なんでしょうか?

世の中には、あいつは理系だからとか、あいつは文系だからとか、互いに蔑視する人が多く見られます。しかし、私の狭い知見の中では、本当に成功する人ってそうした区分を超越して広い見識を持っている人が多いように見えます。また、必要であれば分野に関係なく貪欲に必要なことを身に付けていく人たちが多いように思えます。むしろそういう姿勢を持っていなければ、新しいものを生み出すことができないような時代になってるんじゃないか、などとも思います。

だから、私は文系とか理系とかあまり早い段階で分けてしまうのは、これからの時代はなおさら不適切な教育手法なんじゃないか、などと思うのです。文理問わずできるだけ広く基礎知識を身に付けることができ、あまり早い段階で子供たちの進路を決めつけるようなことはしないで欲しいと思います。

もちろん現状は大学受験の関係で分けざるを得ないのも理解できます。日本の教育システムの方向性としてどうするのか、国を挙げて検討すべき事項なのでしょう。その割に選挙でこういう話題が争点にならないのが残念なところです。

そういうわけで、件のちきりんさんの記事については、私は一片たりとも賛同はできません。むしろ真逆の方策をとることが今後は重要だと考えます。

しかし、ちきりんさんのブログは結構長く読んでいますけれど、会社を辞められてからの劣化っぷりは目を覆うものがありますね。近年は社畜的な考え方をDisるのがブームみたいで「仕事で自己実現」的なことを言うのは恥ずかしい雰囲気もありますけれど、やはり一線で仕事するからこそ感性が磨かれるという面があることは否めないと思います。

そんじゃーね。

『マディソン郡の橋』クリント・イーストウッド(監督、出演)、メリル・ストリープ(出演)

以前コメント欄で教えていただいた『マディソン郡の橋』を観ました。

クリント・イーストウッドが製作・監督・主演を務め、メリル・ストリープがアカデミー主演女優賞にノミネートされました。

ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)はナショナルジオグラフィック誌のカメラマンです。珍しい屋根付橋であるローズマンブリッジを撮影してにアイオワ州までやってきて、農場の主婦フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)に偶然出会います。

ちょうど家族が一週間祭りで留守にしており家に一人だったフランチェスカはイケメンのロバートに魅かれていきます。二人で食事をしながら語り合う中で、二人は恋に落ち、結ばれるのでした。

しかしアイオワの田舎町では二人のような不適切な関係はすぐに知れ渡るし、それは家族の破滅を意味します。なお主人と子供たちを愛しているフランチェスカはロバートとの別れを決断します。

クライマックスは夕立の降る街中で、旦那と買い物に来たフランチェスカがロバートと偶然再会する場面。互いに存在を認識しながら近付くことを許されない関係が泣かせます。

二人はその後再会することもなく、フランチェスカは旦那だけを愛し、ロバートは独身のまま生涯を終えました。しかし、二人とも四日間の恋を忘れることはなく、共に亡くなった後は一緒になることを望んでいたのでした。

率直な感想を申し上げますと、私にはよくわかりませんでした。たぶんそれは、私には配偶者も子供もいないからだろうと思います。

この作品では同じ町に住んで不倫で村八分になっている女性が描かれています。その存在がフランチェスカが最後の一歩を踏み出すことを自省する一因となっていて、おそらくより広い観衆を惹きつけるための工夫の跡だと思います。「子供が手を離れようとしている年代の田舎に住む女性」では如何にもターゲットが狭すぎます。

すでに人生を共に歩んできたパートナーがあり、夫も子供も愛しているけれど、それでも抗い難い恋に落ちる女性の心に寄り添うには、私はあまりにも経験値が不足しているように感じました。

この作品の本当の意味で理解できるような人生が送れることを強く願っています。

しかし、クリント・イーストウッドはかっこいいですね。彼は1930年生まれだそうなので、この作品の時点で65歳くらいのはず。大してドラマチックな展開もなく、気の利いたセリフもなく、眼差しだけでメリル・ストリープを落としながらも納得感があるというのは、ちょっと尋常ではないです。

何と言うか、一定の層には響く名作であるのは認めざるを得ないけれど、自分の境遇とはあまりにもかけ離れていて、高校生が背伸びしてラブロマンスを観ているような気分でした。

早く大人になりたいです。


『きみに読む物語』ニック・カサヴェテス(監督)
『私の頭の中の消しゴム』チョン・ウソン, ソン・イェジン(出演), イ・ジェハン(監督)
映画『ベティ・ブルー インテグラル』
映画『猟奇的な彼女』チョン・ジヒョン(出演), クァク・ジェヨン(監督)

自動車の値付けがかなりいい加減だった話

父親が死んで困ったことの一つは自動車の扱いでした。

父は自動車に非常なこだわりがあって、老夫婦二人でしか乗らないのに排気量3500ccの日産ムラーノを所有していました。現行モデルではメーカー希望小売価格450万円ほどの代物です。オプション等もバリバリ付けていたので購入価格は500万円を下らないのではないかと想像しています。

実家に残された母は運転免許を持っていません。しかし実家付近は自動車がないと大きい買い物などが不便な田舎町です。今は健康状態に問題ないですが、歳を追って病院などへ誰かが送り迎えする必要が生じるかもしれません。

ところが私は実家を出て都内に引っ越してから15年あまりほとんど運転したことがありません。金ぴかのペーパードライバーであります。車庫に入れたら人一人通るのに苦労する大型車をいきなり自在に操る自信は微塵もありません。

排気量3500ccともなると自動車税も半端ではなく、年間5万8000円になるそうです。うちの実家あたりではファミリー向けマンションの一か月分の家賃に相当する額です。

そうした事情を勘案した結果、自動車税の金額が決定する4月1日までに、私でも乗りこなせるような小さい車に買い替えることが最適解という結論に至りました。

ムラーノの下取りが原資になるので、購入したディーラーに行きました。現在の日産のラインナップではマーチかノートが手頃であろうということでした。それではと、まずはノートで見積もりをもらいました。

X-DIG-Sというグレードをお勧めされ、ナビとバックビューモニター、ETCを付けた結果、系列店で設定している特別値引きが適用されて、本体価格と諸経費で180万円でした。ムラーノの下取りが100万円です。80万円足が出る見積もりとなりました。

はっきり言って想定外の価格でした。下取り金額と購入価格がトントンくらいで、キャッシュレスで購入くらいのイメージだったのです。下取りが期待外れでした。葬儀や四十九日の法要などに関する費用も見えない状況でしたので、簡単に出せる金額ではありません。

「これは仕方ないね、中古も視野にいれて考え直します」ということでその日はディーラーを失礼しました。

ノートに買い替えても自動車税の差額は2万円強くらいの話だし、昔と違って通販を活用すれば生活できないわけでもありません。消費税が上がった後であれば、車が売れずに大きい値引きを出すディーラーもあるかもしれない。とりあえず車のことは置いておいて他の処理に注力しよう。私たち家族は一旦はそういう結論に至りました。

そう思っていた矢先、ディーラーの担当者から電話が掛かってきました。「下取りをもう少し何とかできないか上と交渉しているから、今週末また来てくれないか」というわけです。正直まったく気乗りはしなかったのですが、父がお世話になっていたことも知っているので無下にはできず、翌週の日曜日、ディーラーへ向かいました。

ディーラーの担当者の提案は、ノートのグレードを下げて見積もらせてくれ、ということでした。希望小売価格で20万円ほど安い、Xというグレードでした。エンジンの燃費がちょっとだけ悪く、エアコンがちゃちいものになるくらいの違いだと言います。見るだけならタダなので見積もりを作ってもらうことにしました。

それで出てきた新しい見積もりは総額147万円。下取り価格は100万円で変わらず。持ち出しが47万円ということでした。ぶっちゃけ、あんまり頑張った気配がありません。希望小売価格の差額が下がっただけじゃねぇか。

「あまり変わり映えしませんね」と感想だけ言って失礼しようかとしたときでした。

「実際、いくらくらいで考えてます?」

なるほど、ここをスタート地点にして価格交渉が始まるのか。現代日本で消費者相手の商売でそんな取引形態があるということに軽い衝撃を覚えました。東南アジアのマーケットじゃないんだから。

「30くらいで考えてたんですよ…」
「わかりました。30万ジャストで調整します。」
「…え?いいの?」

即答でした。
もうちょっと考える振りくらいすればいいのに。

私は自動車を買ったことがないのでディーラーにどれくらいの裁量があるのかよくわかりません。しかし、元々キャンペーンの特別値引きが入っているのに、その値引き額以上をさらに引くというのは、もう価格なんてあってないようなものです。

情報システムの受託開発みたいな仕事だと長期間の継続的な取引が見込めるので、イニシャルで赤字覚悟の特価を出して取りに行くようなことは一般的に行われています。しかし、自動車っていわゆる大衆消費財でディーラーのスイッチングコストなんて大したことなさそうです。そんな無茶なことをする理由が思いつきません。販売希望価格ではものすごい利益率になるとしか思えないんですが、どうなんでしょうか。

ただ一つだけわかったのは、自動車を買うときはゴネるだけゴネた方が得っぽい、ということです。少なくとも最初の見積もりで予算内であったとしてもそれで買うのはアホのやることだ、と思いました。

不思議な世界もあるものです。

通夜葬儀で行う遺族の挨拶

通常は葬儀屋がサンプルをくれますので、それに倣ってやればよいです。

例えば、家族以外の親族で挨拶しないといけなくなったようなときに参考になるのではないかと思います。

通夜の挨拶

通夜のときの挨拶は、通常は通夜の後に行う宴席(お斎(おとき)の席)で冒頭に行うことが多いようです。

しかしながら、一般的には日中に行われる葬儀よりも夜に行われる通夜の方が参列者が多いですし、通夜では焼香をしたら順次お帰りになる方がほとんどですから、通夜の冒頭に読経を一旦止めて遺族の挨拶を行うパターンが多くなっているそうです。

わが家もそうさせていただきました。結果として、大雪の中でほとんど一般客はなかったんですけどね。

喪主を務めます長男の○○です。
本日はお忙しい中を故○○のためにわざわざご弔問いただきましてありがとうございました。
亡き父も皆様方のおいでを喜んでいることと存じます。また、存命中はひとかたならぬお世話になりましたことを厚く御礼申し上げます。
あれこれ考えますと心残りのことばかりでございますが、これも天寿でございましょう。
残された私共にも変わらぬご指導ご厚誼(こうぎ)を賜りますようお願い申し上げます。
本日は誠にありがとうございました。

出棺の挨拶

葬儀の最後、もしくは霊柩車に乗せてから出発する前に、遺族から行う挨拶です。

ドラマとかワイドショーとかで見るのは大体この出棺の挨拶のような気がするので重要なのかと思っていましたが、必ずしも喪主でないといけないわけでもないみたいです。

わが家も遺族の中で一番どうでもよい存在の次男が行いました。私のことですが。

次男の○○でございます。
遺族、親族を代表いたしまして、一言ご挨拶申し上げます。
本日はご多用の中、また足元の悪い中、故○○のためにご会葬くださり、誠にありがとうございます。
父は多趣味な人でしたが、とりわけスキーが大好きでした。今シーズンは腰の具合が思わしくなく、滑りにいけないことをとても悔しがっていました。こうして最期の日を雪の中で迎えることができて本望かと思います。
父はこれにて皆様とお別れすることになりますが、 生前親しくして頂いた皆様に見送って頂き、父もさぞ喜んでいる事と存じます。
今後残された遺族に対しましても、生前同様のご厚誼(こうぎ)を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
本日は誠にありがとうございました。

精進落としの席

葬儀が済んだら火葬をし、遺骨を持ち帰って、最後の宴席になります。これがいわゆる精進落としです。

精進落としの挨拶は通夜葬儀が一通り終わって、遺族からの最後の挨拶ですから、よほどのことがない限り喪主が行います。

本日は亡き父のために、いろいろとお気遣いいただき、誠にありがとうございました。
お陰様で、滞りなく葬儀を済ませることができ、故人も喜んでいることと思います。
ささやかではございますが、精進落としのお膳を用意致しましたので、故人を偲びながら召し上がっていただければ幸いです。
本日は誠にありがとうございました。

葬儀屋にもらうサンプルをそのまま読み上げるだけでも全然問題ないと思います。でも、ちょっとしたエピソードを一言入れ込むだけで、印象的にできるんじゃないかと個人的には思います。

そういうのは葬儀告別式に限った話ではないとは思います。通り一遍の挨拶が求められる場面で、無難にこなすだけでは面白くないけれど、あまり出しゃばりだと思われたくない、小心な目立ちたがり屋さんは試みていただければと思います。


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父親が死んでから葬儀までにやったことを備忘録的にまとめておきます。母親が死んだときも同じことをするんだなぁと思うとぞっとします。

ちなみに今回のケースでは、亡くなったのはほぼ後期高齢者の無職男性で、妻と二人暮らしでした。健康状態には問題がなく、本人も予測しなかったであろう急な死でした。亡くなったのは救急搬送先の病院です。

現役世代であったり、独居だったり、いわゆる終活準備が完了していたり、それぞれの事情で相当変わると思います。参考までになさってください。

初日(亡くなった日)

葬儀屋を選ぶ

基本的に病院には遺体を置いておけません。すぐに葬儀屋を決めて引き取りにこさせろと言われます。

その場で駅前に式場を持っている葬儀屋を検索して、あまり深く検討する間もなく連絡をしました。

ほとんどの葬儀屋は24時間受付のフリーダイヤルを持っているようです。私の場合、亡くなったのは午前3時過ぎでしたが普通に連絡できました。

遺体を安置する

葬儀屋がすぐに遺体搬送用車両で迎えに来てくれます。このとき、遺体を式場の安置所に置いておくか、自宅へ連れて帰るかを尋ねられます。

何となくこのまま一度も家に帰れないまま焼いてしまうのは気の毒だったので、自宅へ連れ帰ることにしました。

近所の人たちがお焼香を上げに来てくれたりするので、それなりに近所付き合いがある地域であれば、絶対に自宅に連れ帰るべきです。

葬儀屋が簡易な祭壇とか持って来てくれるので、初めてのお焼香を上げましょう。宗派がわかっていれば作法なども教えてくれます。

遺族親族へ第一報を入れる

看取れなかった遺族や親族には時間は気にせず第一報を入れましょう。多くの場合はいよいよ危ないとなったときに連絡をしていると思いますので、結果をいち早く教えてあげるべきでしょう。

簡単に「さっき死んだ。日取りが決まったら連絡する。」のみでよいです。

職場へ連絡する

平日の営業時間になったら自分の職場に連絡しましょう。決まっていることがあればそのまま伝えればよいです。何も決まってなくても「親が死んだのでしばらく休む。日取り等が決まったら連絡する。」くらいは言っておくべきです。

ちゃんとした会社なら忌引きの日数とか花をどうするか人手はいるかなどなどいろいろ聞いてくることでしょう。

ちなみに親の死亡の場合は忌引きは7日(休日含む)が多いみたいですね。サンプル数は少ないですが。

葬儀屋と打ち合わせ(日取り等)

葬儀屋が式場や火葬場の空き状況を確認して来てくれるので、日取りを決めます。そんなに間を開けるわけにいかないので、選択肢はそんなに多くありません。

このときに通夜までに決めなければいけないことについての説明も受けます。きっちりメモ取りながら聞かないとわからなくなっちゃうので気をつけましょう。

死亡届を提出する

役所に死亡届を出さないと埋葬許可証が下りず、火葬ができません。病院で亡くなれば医者が死亡診断書を書いてくれます。死亡届は死亡診断書と一枚綴りになっています。

私の場合は葬儀屋が役所に死亡届を提出しに行ってくれました。彼らとしても許可証がなくて式が滞ると困るから遺族任せにできないのかもしれません。

死亡届のコピーを取る

死亡届は、戸籍謄本に死亡(除籍)が記載されるまで、本人の死亡を証明する書類として求められることが多いです。

私の場合は、国民健康保険の葬祭費の請求、遺族年金の請求、生命保険の請求などで必要でした。

多くのコンビニではコピー機にスキャナが付いていますので、pdfで保存しておいて必要に応じて印刷するようにするとよいでしょう。

二日目

遺族親族、勤め先などへ日取りを連絡する

日取りが決まったので連絡しておきましょう。精進落としの人数に関係してくるので、火葬場へ来てもらえる人の人数を把握しておきます。

基本的に火葬場へ来てもらう人は遺族側で指名するようです。

故人の友人関係へ連絡する

わかる範囲で友人関係へ連絡します。どこまで連絡するかは非常に難しい判断です。連絡先を見つけるのも結構大変です。

会葬品や引き物の数も決める必要があるのでどれくらい来れそうかをそれとなく探っておく必要があります。

ご臨終から通夜までの間に一番時間を取られるのがこれです。

家に来る焼香客を相手する

式場が遠かったりすると近所の人が焼香を上げに来ますので応対します。

特に故人がお年寄りだと近所の人なども同じくらいお年寄りなので、通夜のために家を出るのが辛かったりするようです。

わが家の場合は特に大雪のさなかだったため、通夜の参列者寄りもうちに焼香上げに来た人の方が倍くらい多かったです。

葬儀屋と打ち合わせ(詳細)

大体の日取りは決まっていますので、料理の種類や人数とか、供花の数や順番とか、細かい内容を詰めます。

これが決まれば後はやるだけです。

挨拶を決める

通夜から葬儀の間に数回、遺族親族の挨拶が求められます。通夜の後の お斎(おとき)の席、出棺の挨拶、精進落としの席が一般的のようです。わが家は通夜の冒頭に読経を一旦止めて挨拶をさせてもらいました。

基本的には喪主が話しますが、すべて同じ喪主がやるのも芸がないので遺族の中で分担することも多いようです。もし血縁の近い親族に挨拶を頼むのであれば、早めに交渉するとよいでしょう。ちなみに私は叔父に一つ挨拶を頼んだのですが断られました。

参考までに、わが家はこのようになりました。

  • 通夜の冒頭:喪主(長男)
  • お斎(おとき)の席:妻
  • 出棺の挨拶:次男
  • 精進落としの席:喪主(長男)

通夜当日

納棺

文字通り遺体を棺へ詰めます。家でやってもよいし、式場でやってもいいです。家でやる場合は棺桶の搬入等が発生するので相当広い家じゃないと厳しいでしょう。わが家は搬入搬出ルートが取れそうになかったので式場で納棺としました。

式場で納棺をするなら、通夜の少し前にやることにすれば、親族も納棺に立ち会えるので都合がよいと思います。

臨終に立ち会っていない親族などは、はっきりと遺体を目の当たりにする最初の機会なので、やはり衝撃的なようです。結構盛り上がる場面です。

通夜

特に説明は不要かと思います。道士がお経を読んで、遺族、親族、一般客の順で焼香します。

すべて葬儀屋が取り仕切ってくれるので、言われるがままにやることをやればよいです。

お斎の席

通夜の後、親族などが揃って食事をします。臨終に立ち会った人間は貴重なので、何度も同じ話をさせられます。

あとは、今何やってんだとか、早く結婚しろとか、お決まりのトークが繰り広げられます。

線香番

通夜の晩から葬儀の朝まで線香が尽きないように式場に泊まり込んで見守るのが線香番です。ほとんど眠れませんので若い男性が受け持つことが通常です。

仮眠を取りながらやれるように複数人で担当するとよいでしょう。

ただし、最近は12時間燃える線香とか5時間燃えるロウソクとか出回っているので、線香番自体を置かない場合もあるみたいです。

わが家もオリンピックを観ながら飲んだくれていただけで、いつ寝たのかも記憶にないくらいです。

葬儀当日

葬儀告別式

通夜と同様に道士と葬儀屋の流れに任せ、言われるがまま言われた通りのことをすれば、基本的に何も問題がありません。

初七日の法要も同時に行うことが通常です。葬儀用の読経が30分、初七日用が15分、計45分間の読経を聞かされます。

すべて終わると棺桶に花を詰めて完全に蓋をします。故人の姿を見られるの最後の機会です。最期の姿を目に焼き付けておきましょう。

火葬場

ほとんどやることありません。好きな飲み物をいただきながら親族と近況などを話しながらひたすら待ちます。約一時間ほどで焼けます。

やはり親が骨になって目の前に出てくるとインパクトがありますね。と言っても言われないとそれが親の骨とはわかりません。病気などで骨が形を残さないこともあるようです。そうなるとショックが大きいのかもしれません。

精進落とし

式場に戻って会食します。線香番をしていると猛烈に眠くなります。故人を偲びながらおいしくいただきましょう。

以上で葬儀告別式は終了です。お疲れさまでした。

まとめ

基本的には準備や進行は葬儀屋が何でもきっちりやってくれます。遺族は聞かれたことを決めるだけです。

一番の仕事は、故人の友人関係を調べて連絡し、どれくらいが通夜もしくは葬儀に来てくれるのか、人数を把握することです。これが食事の数や会葬品、引き物などの数に影響しますのでじっくり考えて決めるとよいです。

遺族はやることが多くて、故人を偲ぶなどと言う余裕はありません。かつては葬式に「泣き女」を頼んで涙を誘うように仕掛けるようですけれど、そうでもしないと遺族は涙一つ流す暇もないと思いました。

何にしても故人に対して最後にやれる孝行ですから、精いっぱいのことをやってあげましょう。


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父が死にました

父が死にました

父が死にました。享年74でした。

father

その日の夕方、いつも通り夕食前の風呂に入っていたときのことです。台所で夕食の支度をしていた母の耳に父の呻くような声が聞こえました。母が様子を見に行くと父が風呂桶の中でぐったりしていました。母は救急通報し、指示に従って風呂桶から父を引き出そうとしましたが重くて持ち上がりません。向かいのお宅へ助けを求めて走りました。そうこうするうちに救急隊が到着し、救命措置を施しながら救急病院へ搬送されました。搬送中に一旦息を吹き返すも再度心肺停止。病院で人工呼吸器を設置され精密検査にかけられました。

私は救急病院に到着した頃に母から連絡を受け、着の身着のままで救急病院へ向かいました。受付で父の家族であることを伝えるとすぐに男性の看護師が迎えに来ました。看護師は大変厳しい状況であると話しながら治療台へ通してくれました。母は治療台の脇に立って父を呆然と見下ろしていました。母は特に動じることもなく冷静に対処しているように見えました。

私が到着したことで当面駆けつける人間はいなくなったので母と共に当直医師から説明を受けました。いろいろと丁寧に説明してくれましたが、要約すると「何らかの原因で心肺停止に陥り脳に血液が通わない状況が数分続いた結果、脳に致命的な損傷を負った」「心肺停止に至った原因は確証のある事象は見当たらない」「治療方法はなく経過を見守るしかない」「連絡すべき人には速やかに連絡するように」といったところでした。

その後は遠方の兄とメールで状況報告を交わしながら、母ととりとめもないことを話ながら死に往く父をただ見つめていました。素人目にも死が少しずつ父の体を蝕んでいくのがはっきりとわかりました。顔が黒ずんできて手や顔の体温が冷めていくのを二人で確かめ合いました。ただその時を待つしかありませんでした。

そうして父は、死にました。

午前3時40分でした。診断書に書かれた死因は低酸素脳症でした。

良い死に方だったと思います。大病で苦しむこともなく、認知症で他人に迷惑をかけることもなく、意識は無いながらも妻と息子に見守られながら死んでいきました。上出来です。

率直に言って、私は父のことをあまり好きではありませんでした。典型的なB型で、常に自己中心的な言動で周りを振り回しました。子供のように天の邪鬼で、人の意見には取り敢えず反対しないと気が済まない人でした。妙に負けず嫌いでこれと決めると周りが呆れるまでのめり込みました。

こうやって父のことを思い返していて気づいたことは、これは全部自分のことじゃないか、ということでした。私がいくら疎い憎んでも父のDNAは私の肉体と精神にはしっかりと組み込まれていたのです。

私は、父の息子でした。

ありがとう、さようなら。

仕事一筋で婚期を逃したって言う人ほど仕事ができなそうな件について

30代の独身女性と話していてよく耳にするのが「仕事優先の生活を送っていたらいつの間にかこんな歳になってました」という言い訳です。

個人的な体験が根拠ですが、こういう話をする女性は一般的な社会人が備えているべき素養がなく、端的に言って仕事できなさそうな人が多いです。

少し前に友人にある女性を紹介してもらい3回ほど会ったんですが、その女性もそんな女性の一人でした。

詳しい年齢は知りませんが、30代前半くらい、一部上場企業の総合職をしています。私の友人の同僚なので、話題としてその職場のことが多く出ていました。この年代の女性にありがちですが、とにかく仕事がんばってますアピールが鬱陶しい女性でした。

この女性は3回会った中で、一度たりとも時間通りに待ち合わせに来たことがありませんでした。

一回目は待ち合わせの直前に連絡が来ました。30分ほど遅れるとのことでした。すでに先に店に入っていたので勝手に飲んでいましたが、気の利いた店員さんが小まめに気遣いを見せてくれて、それなりに楽しくやり過ごせました。

二回目は待ち合わせ時間を10分ほど過ぎてからあと30分遅れると連絡がきました。「仕事に夢中になっていたらいつの間にか時間が過ぎていた」とおっしゃっていました。週末で混雑していたカウンターで一人、都合40分飲んでいる恥ずかしさと言ったらありませんでした。

三回目は何の連絡もなく20分が過ぎました。予約していた店をキャンセルして一人で帰ろうとしました。駅で電車を待っていたら電話が掛かってきました。「今着いた」と。会いたくなかったのですが、友人の手前もあるので一応適当に夕食だけは食べました。

毎回一応は申し訳なさそうな素振りで謝ってきました。「どうしても仕事優先になってしまってごめんなさい」と言います。「こんなだから結婚もできないんだわ」とも言います。

でもね。

私の15年の社会人経験で知っている人を振り返ると、仕事ができる人は例外なく時間とか連絡とかしっかりしてるんですよ。それは性別に関わらずです。まず時間に遅れてくることはめったにないし、遅れるときは10分前には遅れそうだと連絡を入れてくれます。時間に遅れる人は大抵仕事でよくトラブってたり業績が上がらない人たちです。

だって当たり前じゃないですか。店の方は席空けて待ってくれてるんです。その間に入ってきたお客さんをお断りしているかもしれない。自分の行動が他人にどのような影響を与えるのかに思い至らないような人が満足に仕事ができるとは思えません。

どんな理由があったとしても、連絡なしに時間に遅れるような人間が仕事ができるわけがないのですよ。

あなたたちが結婚できないのは仕事を優先しているからではありません。人間として未熟だから相手にされて来なかっただけなんです。若い頃はそれでも許されたかもしれません。でも30歳過ぎて容姿も目に見えて崩れていく中で、自分のことしか顧みない人を誰が求めると思いますか?

あなたたちは仕事を優先しているのではありません。仕事に現実逃避しているだけなんです。


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2014東京都知事選挙、結果と感想

2014年2月9日(日)は猪瀬直樹前東京都知事の辞任に伴う東京都知事選挙の投開票日でした。

結果は以下のとおりです。

順位 候補者名 得票数 当落
1 ますぞえ 要一 2,112,979
2 宇都宮 けんじ 982,595 ×
3 細川 護熙 956,063 ×
4 田母神 としお 610,865 ×
5 家入 かずま 88,936 ×
6 ドクター・ 中松 64,774 ×
7 マック 赤坂 15,070 ×
8 鈴木 たつお 12,684 ×
9 中川 智晴 4,352 ×
10 五十嵐 政一 3,911 ×
11 ひめじ けんじ 3,727 ×
12 ないとう ひさお 3,575 ×
13 金子 博 3,398 ×
14 松山 親憲 2,968 ×
15 根上 隆 1,904 ×
16 酒向 英一 1,297 ×

出典:平成26年 東京都知事選挙 開票結果※筆者並べ替え、小数点以下四捨五入

舛添要一元厚生労働大臣の圧勝でした。ご当選おめでとうございます。

投票率は46.14%でした。衆議院選挙と同日実施だった前回2012年(62.60%)より16.46ポイント低く、単独実施だった前々回2011年(57.80%)と比較しても10ポイント以上低い結果となりました。酷いですね。

低投票率の直接的な原因は、前日2月8日に日本列島を襲った大雪です。東京では45年ぶりに積雪27cmを計測しました。わが家は投票所の小学校まで徒歩3分ほどなので特に苦にもなりませんでしたが、多摩の山間の地域では除雪作業により投票開始が遅れたり、開票所へ確実に投票箱を届けるために投票終了を早めたりした投票所もあったようです。

投票率が低ければ組織票を固めた候補者が有利になるのは常識ですから、週末に大雪の予報が出た段階で、自民公明の推薦を受けている舛添さんの当選はほぼ間違いのない状態でした。それを理解して投票に行かなかった層も多いのではないかと想像しています。

舛添さんは、人間性には問題が多そうなことは確かなようですが、最も無難な候補者だったのだろうと思います。個人的には、何より彼個人が思い入れのある政策がなさそうに見えるのがよいのではないかと考えています。

私は、何か一つの政策に拘泥するあまり、他の政策が停滞することは好ましくないと考えています。例えば、猪瀬前知事がオリンピック招致に掛かりっきりになったような事態だけは避けていただきたいのです。

そういう意味で、舛添さんは無難な結果なのではないかと思いました。

今回の選挙戦で一番驚愕したのは、朝日新聞の出口調査で田母神さんが20代30代の若い世代で強い支持を集めていたことでした。私も一度街頭演説に出くわしたことがありますが、かなり熱狂的な声援を集めていました。

予想以上に若い世代を中心とした右傾化が進行していることが可視化されており非常に興味深いです。今後も注視すべきかもしれません。

asahi
舛添氏、高齢層から圧倒的な支持 都知事選出口調査分析:朝日新聞デジタル

細川さんについてはあまりにも旬が過ぎた人感が強かったように思えます。いくつかのインタビューで不可解な言動も多く、政治家以前に一般人としての知力の衰えが致命的な水準だったように思えます。

家入一真さんの得票数は判断の難しいところです。ネット以外の知名度は皆無であり、選挙活動もほぼネット上のみでした。ネット系メディアを中心にかなりネット上では注目を浴びていました。

8万8千票という結果は、ネット上の盛り上がりを横目に見ていると「そんなもんしか取れないのか」という印象ではありますが、他の泡沫候補と比較すると、ドクター中松を抑えての5位というのは十分に健闘した結果のようにも思えます。

ネット選挙が解禁されたのが昨年ですから、このような選挙活動が実現したこと自体が評価されるべきことかと思います。今後も二番煎じの候補者が後を絶たないと思われますが、今回の得票数が一つのメルクマールになるのではないでしょうか。

しかしまぁ何にしても、17日間の選挙期間は長すぎます。私は職場が繁華街の雑居ビルなので日中の選挙カーには悩まされました。これで解放されると思うとそれだけで晴れやかな気分であります。


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